
- 重岡キリシタン墓
- 凝灰質の平型の伏墓で、長さ180cm、幅86cm、高さは軸部27cmという巨大な墓です。
上面の後部寄りに日輪十字章を平彫りし正面軸部の「るいさ」という教名を、その左右に「元和五年」(1619年)「五月廿二日」という没年月日を薄く薬研彫している。
渡辺家の墓地から少し離れて一基現存する花の「るいさ」の教名を持ったキリシタン長人は、岡藩(大分県竹田)家中渡辺興吉郎の娘で宇目郷割元役渡辺善左衛門の妻となった人と思われる。
もともと花の墓は地上にあったが幕府の禁教令布告後弾圧が強化され迫割が激しくなったので一族の者がキリシタンである事が発覚するのを恐れて地中深く埋めたと思われる。

- フランシスコ ザビエル
- 1506年、スペインのナパラ国王の貴族の末子として生まれた宣教師フランシスコ・ザビエルは天文20年(1551年)豊後の国を訪れ大友宗麟の保護を受け、神教を広めると共に府内の町にデウス堂、セミナリオ(青少年向けの神学校)、ユシゾオ(高等教育)、アルメイダ(大病院)等の施設を次々と作り、同時に新しい西洋の賑わい南蛮文化の花が咲き乱れておりました。
フランシスコ・ザビエルは、豊後の国にキリスト教と南蛮文化をも伝えた最初の人です
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